母として、ダンス指導者としてー
地域の中で成長できた
「東京から引っ越してきたのは確か1月末でした。
ちょうど大寒波が来ていて大雪で…。
すごい所へ来ちゃったぞと思いましたね。
周りに家が無いし」
最初の冬の衝撃を思い出して笑う、坪倉万葉さん。日南町にIターンしたのは2016年。自身は新潟県の佐渡島で生まれ育ったが、東京で働いていた頃に出会って結婚した相手が日南町の出身だった。入籍直後、ご主人のUターンに同行する形で移住したのだ。
移住とほぼ同時に一人目のお子さんを妊娠、出産。現在は二人のママとして子育て奮闘中であると同時に、町でただ一人のダンスインストラクターとしても活躍。ストリート系ダンスを中心に、小学生から高校生まで約30人の地元っ子にダンスを教えている。
東京では10年近くダンスに関わる仕事をしていた。ミュージシャンのバックダンサーをしたり、レッスンをしたり。華やかで、若者が憧れる世界だ。子どもの頃からダンス好きで、この仕事を続けたいと願いながらストイックに休みなく働いていた。
しかし、結婚したことで考えが変わった。
「東京で子育てするイメージが全然わかなかったんですよね。都会は働く場所としか考えられなかった。仕事し過ぎで疲れていたこともあって、心機一転、地方暮らしをしようと決めました。ダンスは東京じゃなきゃできないと思ったのでスッパリ辞めて、移住したら別の仕事でのんびり働くつもりで。…そう、田舎にはスローライフがあると信じていたんですよ(笑)」
ところがいざ移住してみたら、現実は予想を裏切った。こんなにも若者が少ないのか。病院も何もかもこんなに遠いのか。こんなにやることが多いのか…。
「阿毘縁という地区で、主人の実家の横の長屋を改装して暮らしていますが、周りの住民は親世代よりも上の年配の方が多くて、最初は困惑しました。子育て支援センターに行くようになってからはママ友ができましたけど。あと移住して思い知ったのは…とにかく忙しい!みんなアポ無しで用事を言ってくるし、都会のように便利なサービスが無いから家事でも何でも自分でやらなきゃいけないことばかり。毎日保育園の送り迎えに山道くねくね片道15分とか、どこへ行くにも車が必須で、遠くて移動に時間がかかるぶん自由な時間が減ります。おかげで、時間のありがたみを感じるようになりましたね」
カルチャーショックが続く中、嬉しい想定外もあった。朝の澄んだ空気や、夕暮れの空の色。四季折々の野山の美しさには目を見張った。子ども達と近所を散歩し、秋には栗を拾ったりアケビを採ったり…。たまに手伝う畑仕事で、豊かな恵みへの感謝も芽生えた。
そして、ある出会いが万葉さんの生活を変えた。
ダンスを再開するチャンスが舞い込んだのだ。
「一人目を出産してしばらくした頃、イベントの企画運営をしているアシスト日南の社長から、子どもたちにダンスを教えてくれないかと依頼がきました。最初はミュージカルの指導でしたが、それが発展してNDS(にちなんダンススクール)を開講することに。意外な展開で驚いたけど、すごく嬉しかったですね。またダンスできる嬉しさと、外に出るキッカケができたという喜びです。多くの人と接点ができ、交流が広がりました。社長には感謝しかありません」
まさに万葉さんのために準備されたような“役割”にピタリとハマり、ダンスインストラクターとして地域になじんでいった。その指導にあたっては、譲れないポリシーがある。
「やるからには本気。こんな田舎でも本格的にダンスをやれるんだよと堂々と言えるレベルが目標です。東京では技術の向上だけ目指すスパルタ式でしたけど、今は違う。子ども達の様子を見ていて人間関係や家庭のことまで気になる。一人一人を丁寧にサポートしてあげたいなって思って接するようになりました。これって田舎ならではの感覚なのかな。自分も母親になって少し成長したのかも」
ダンスに対する万葉さんの想いや踊る楽しさ、子ども達への愛情はしっかりと伝わっているのだろう。ある地元の小学生から、「ダンスが楽しい。将来は先生みたいな人になりたい!」という声もあった。
「嬉しいですね。自分の仕事が子ども達の元気につながっていることがやりがいになってます。ここに来て良かったなーって」
好きなことを仕事にしながら、地域の役に立てていると感じられる幸せ。不便や不安も当然あるけれど、ここでなら自分らしくやっていけるという手応えを、今は感じている。
坪倉 万葉さん
Mayo Tsubokura
ダンスインストラクター。新潟県佐渡市出身。幼少期からジャズダンスを習い、その先生が台湾人だったことから高校卒業後は台湾へ1年留学。帰国後は東京でダンサーとして活動し、29歳で結婚を機にご主人の実家がある鳥取県日南町へ移住。令和4年現在、6歳と1歳の二人の子育てをしながら、地元のダンス教室で地域の子どもたちに指導している。ご主人はUターン後に就農し、現在は日南トマトの専業農家。万葉さんも時々農作業を手伝う。